マー君(田中将大投手)が単年で球界最高年俸9億円で楽天復帰決定!!

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ヤンキースからフリーエージェント(FA)となっている通称マー君こと、田中将大投手(たなか まさひろ)の楽天復帰が決定したという情報が入ってきました。
まだ大リーグの球団の複数が田中投手の獲得へ興味を示している中でのニュースです。

田中将大投手 8年ぶりに楽天に戻る!

アメリカは新型コロナウイルス感染爆発の影響から、キャンプや公式戦の予定も不透明なうえ、市場の移籍の動きが遅いという状態が続いています。

そこへ楽天が田中投手との交渉を持ち掛け、元楽天のエースが8年ぶりに楽天に戻ってくるということが決定しました。

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20200427-37

背番号や年棒は?

楽天は田中投手に対し、背番号18 単年での年俸を8億~9億を提示していました。

最高のおもてなしで田中投手を招き入れるというのが、監督兼任ゼネラルマネージャーの石井一久氏の熱い思い。

田中投手はそんな石井監督の思いを受け取ったのでしょうか。

東北は3月11日にあの東日本大震災から10年を迎えます。
『頑張ろう東北』を掲げる楽天にとって、特別なシーズンになりますので、田中投手の獲得はより一層力を入れていたのかもしれません。

田中投手の公式ツイッターでのコメント

田中投手は自身の公式ツイッターで以下のようなコメントを発表しております。

この度、楽天イーグルスと契約させていただきました。今シーズン、日本でプレーする決断に至った経緯や思いは、後日、入団会見を行う予定ですので、その席でお伝えできればと思います。

https://twitter.com/t_masahiro18

芸能界からも数々のコメントがあり、このコロナ禍において嬉しいニュースの一つになったことは間違いないですね。

日米通算177勝の投手、マー君は、古巣楽天でどのような活躍をされるのかが楽しみですね。

田中投手の経歴

田中投手は1988年11月生まれの32歳。
兵庫県伊丹市出身。野球は右投げ右打ち。

軟式少年野球時代はキャッチャーとしてホームランを連発する強打者だったようですね。
中学校時代にボーイズリーグで硬式野球を始めたときに、強肩を買われてピッチャーを兼任するように。

高校では早稲田実業のハンカチ王子との対戦などから全国的に有名になり、高校生ドラフト会議での抽選の結果、楽天入りとなっています。
この時、田中投手を1位指名した球団は、東北楽天ゴールデンイーグルス、日本ハムファイターズ、横浜ベイスターズ、オリックスバファローズがあった。

入団時の背番号は「18」

プロ入りした2007年。
初戦は先発で出場したソフトバンク戦で、1回と2/3で6安打3奪三振1四球で6失点という結果に終わっています。

初勝利は4試合目で、この試合もソフトバンク戦。
9回を投げ切り、2失点13奪三振で初勝利初完投。
その後中日ドラゴンズ戦では初完封勝利を収めています。

この年のオールスターゲームでは、ファン投票の結果、高卒選手としては西部の松坂投手以来の出場を果たしています。

この年は史上最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振、球団史上初となる2桁勝利などの成績を挙げており、新人王を受賞しています。

2008年には北京オリンピックにも出場し、高卒新人としては40年ぶりとなる2年連続の150奪三振を記録しています。

2009年には15勝、防御率2.33とし、高卒3年目にして年俸1億8000万円(推定)で契約

2010年には現在の奥様である里田まいさんとの交際を公表し、2012年に結婚。

2013年は開幕から24連勝、最多勝、勝率1位投手、最優秀防御率を獲得。前年からの連勝を合わせると28連勝というプロ野球新記録を樹立

勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初という快挙で、チームも史上初の日本一となった。

2014年はMLB挑戦を希望し、ポスティングシステムを行使。
ニューヨークヤンキースと総額1億5500万ドルで7年契約に合意。

MLBでの活躍はこちら

投手としてはMLB史上5位の契約額となり、4年目終了後には契約をオプトアウトしてFAとなれる条項が付く。背番号が19に決定したことが球団から発表された(楽天時代の背番号18はすでに黒田博樹が使用していたため)。スプリングトレーニングでは3度の先発を含む5試合に登板し、2勝0敗、防御率2.14、WHIP0.86と好投。3月29日にはスプリングトレーニングで活躍した1年目のヤンキースの選手に与えられる「James P. Dawson Award」を受賞した。

開幕4戦目となる4月4日のトロント・ブルージェイズ戦でMLB初登板となる初先発を果たした。7回を6安打3失点(自責点2)8奪三振の投球で、NPB/MLB通算100勝目となるMLB初勝利を挙げた。5月14日のニューヨーク・メッツ戦では9回を4安打無失点の好投でメジャー初完封勝利を挙げ、9回の第三打席ではMLB初安打も記録。5月20日のシカゴ・カブス戦では6回8安打4失点(自責点3)でMLBでの初敗戦投手となり、2012年8月26日から続いたNPB/MLBレギュラーシーズンでの連勝記録は34で止まった。6月3日には日本人投手史上3人目となる5月のリーグ月間最優秀投手に選出され、ヤンキースの新人投手では史上初の受賞となった。6月28日のボストン・レッドソックス戦では9回2失点の投球で敗戦投手となり、プロ入り後では2010年6月以来の連敗を喫するが、1973年のスティーブ・ロジャース以来となるメジャー最長タイ記録となるメジャーデビューからの16試合連続クオリティー・スタートを達成。前半戦は18試合の先発で12勝4敗、防御率2.51、WHIP1.01の成績を残し、オールスターに選手間投票1位で選出される が、7月9日に右肘の違和感を訴え15日間の故障者リスト入りしオールスター出場も辞退。翌日に右肘靭帯の部分断裂で全治6週間と診断され、PRP療法という保存療法での回復を目指しリハビリを行う。9月21日のブルージェイズ戦で復帰し、投球数70球で5回1/3を5安打1失点の投球で13勝目を挙げる。シーズン最終登板となった復帰2戦目のレッドソックス戦ではメジャー移籍後最短の1回2/3を7安打5自責点と打ち込まれる。チームはポストシーズン出場を逃したが、復帰後は右肘に異常なくシーズンを終えた。

2015年、4月6日のトロント・ブルージェイズとの開幕戦で日本人4人目となる開幕投手を務めたが、4回5失点(自責点4)で敗戦投手となった。前半戦は11試合に先発して5勝3敗・防御率3.63を記録した。この年は24試合に先発し、12勝7敗。防御率3.51の数字を残し、シーズンオフの10月に右肘の骨片を取り除く手術を受けた。

2016年、2月15日に妻の里田まいがニューヨークの病院で第1子となる長男を出産。オープン戦では防御率7.36と振るわなかった。4月5日のヒューストン・アストロズとの開幕戦、日本人2人目となる2年連続の開幕投手を務め、5 2⁄3回2失点と好投したものの勝ち負けはつかなかった。メジャー3シーズン目にして初めて規定投球回に到達。チームトップの14勝を挙げたほか、防御率は最終盤まで最優秀防御率獲得のチャンスがあったが最終的に3.07のリーグ3位で1位とは0.07差で終えた。

2017年のオープン戦は3勝1敗、防御率0.42を記録。開幕戦の4月2日のレイズ戦に先発し、日本人投手初の3年連続開幕投手となったが、3回途中で7失点と炎上した。8月27日のマリナーズ戦で同年シーズン10勝目を挙げ、日本人メジャー初のデビューから4年連続2桁勝利を記録した。9月2日のレッドソックス戦ではMLB通算50勝目を記録。101試合目での到達は日本人投手史上最速記録。14日のボルチモア・オリオールズ戦では日米通算150勝を記録した。シーズン成績は13勝12敗、防御率4.74だったが、ポストシーズンでは2勝1敗、防御率0.90を記録した。11月3日、オプトアウト権を行使せずヤンキースに残留することを発表。

2018年3月31日の開幕2戦目に登板。6回3安打1失点8奪三振という好投し、ルーキーイヤーから実に4年ぶりとなる白星スタートを飾るシーズン中盤、4週間のDL入りをするものの、最終的に「5年連続12勝」を達成した。この年は3年ぶりに規定投球回未達に終わったものの、12勝6敗、防御率3.75、WHIP1.13という成績を記録した。

2019年3月28日のオリオールズとの開幕戦で日本出身の投手として最多となる4度目の開幕投手を務め、5回2/3を6安打2失点(自責1)無四球5奪三振の好投で、念願の開幕戦初勝利を飾った。6月30日にMLB史上初となるヨーロッパでの試合となるロンドン・スタジアム(イギリス・ロンドン)でのレッドソックス戦に登板。しかし、両先発が1回持たずに降板(田中は2/3回、リック・ポーセロは1/3回)というこれまたMLB史上初となる珍事となった。試合は17対13でヤンキースが勝利。MLBオールスターゲームに代替選手として選出され、日本人史上3人目の登板を果たした。2回から2番手で登板し、1回を1安打無失点に抑えると直後に味方が得点し、球宴初出場で日本人史上初の勝利投手となった。8月11日のブルージェイズ戦(ロジャーズ・センター)で、9回途中3安打無失点で今季8勝目を挙げ、日米通算171勝目(日本99勝、米国72勝)。現役日本選手の勝利数で松坂大輔、岩隈久志の各170勝を抜き単独トップに立った。最終成績は11勝9敗・防御率4.45で、対レッドソックス戦を除く29登板での防御率は3.52だったのに対し、対レッドソックス戦では3先発で防御率24.75を記録した。ポストシーズン、まず地区シリーズ第2戦の先発で5回1失点に抑えてチームの全勝に貢献した。続くリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦を6回無失点に抑え、デビュー以来PS7試合連続で2失点に封じたMLB史上初の先発投手となった。

2020年は開幕2戦目の登板が有力視されていたが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、シーズン開幕が不透明となった。アメリカでの感染拡大は終息の兆しが見えず、3月下旬にキャンプ地のフロリダから家族と共に日本に一時帰国した。その後、7月4日から夏季キャンプが始まるのに合わせ、再度ニューヨークへ渡った。夏季キャンプ1日目の7月4日、練習中にチームメイトのジャンカルロ・スタントンの放った打球が頭部を直撃。約5分倒れ込むも、トレーナーに支えられ自力で歩行し病院に搬送された。その後復帰し、シーズンでは3勝3敗、防御率3.56の成績を記録した。オフに球団から1890万ドルのクオリファイング・オファーが提示されず、自身初のFAとなった。

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頭に打球。無事を報告

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